最高速度 | 110km/h | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
車体 | ステンレス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駆動 エンジン | DMF13HS/撮影:185ファンNo.3113様 |
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台車 | キハ185→DT55 ▲ボルスタレス台車・DT55 キロハ186→TR240、DT55 ▲TR240撮影:185ファンNo.3113様 |
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室内構成 | 2扉回転リクライニングシート 普通車(2+2列)<0番台:定員60人><1000番台:定員64人> グリーン車(2+2列)<G車定員24人+普通車定員32人> | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
製造受注 | 日本国有鉄道、四国旅客鉄道 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
製造 | 日本車両・富士重工・新潟鉄工 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
製造年 | 1986年〜1988年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属 | JR四国高松運転所、JR九州大分鉄道事業部大分車両センター | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
使用列車 |
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備考 |
2000系登場以前は、南風・しおかぜなどでも使用されていた。 わずか数年で主力を追われた車両。急行としての走行経験もあり。 1992年にJR九州へ20両が譲渡、1999年・2000年に10両を通勤化改造 |
(評価) | 乗り心地 | 内装 | 前面展望 | 車輌性能 | 外観 | 静音 | 総合評価 |
獲得得点 | 85点 | 90点 | 95点 | 80点 | 85点 | 95点 | 88.33点 |
おすすめ | |||||||
欠点 |
●概要 デビュー数年で、2000系という新型車両が登場し、まもなく主力を追われた悲運な車両。 1986年〜1988年にわたって、日本車両、新潟鐵工、富士重工から52両が製造された。 経費削減や、ランニングコスト削減の観点から、廃車発生品、バス部品の利用がなされ、 1両に2ドア、ステンレス車両としたことなど今までの特急とは逸した設計となった。 最高速度は110km/h、キハ185形にはエンジンを2台、キロハ186形には1台搭載とした。 国鉄色とされる緑帯で登場したが、JR化後に四国らしいブルーのラインに変更された。 (※JR化後に、製造された車両については元から四国色) 四国の全昼行特急である特急しおかぜ・いしづち、南風・しまんと、あしずり・宇和海、うずしおに充当され、 キハ181系と共に、JR四国の特急列車発展途上期間を大きく支え、貢献した。 だが、1989年に、振り子付きの2000系試作車TSE〜量産車登場の後は、土讃線の運用を終え、 これと重なるように予讃線では、電化が完成し、8000系特急電車の登場により予讃線からも撤退。 1991年度末には、この影響で大量に余剰車が発生したため、 JR四国は廃車手続きをとったあと、20両をJR九州へ譲渡した。 (あくまで噂だが、岡山地区の急行砂丘の後継としてJR西日本へ譲渡されるという話もあったらしい) この後は、残った車両が特急うずしおとして活躍する。 大多数が1時間ほどの短距離特急だが、一部にキロハ186が連結されるなど活躍した。 1996年に、徳島線に特急剣山が登場すると、活躍の場は広がった。 徳島〜高知間の特急剣山も設定された。多客期には徳島〜窪川の特急剣山が運転された。 しかし、阿波池田〜高知間は2000系特急南風・しまんとが走っており、 2000系と比べて、同区間の所要時間が30分以上開いてしまう事態となった。 振り子機能が、いかんなく発揮できる土讃線で、2000系とキハ185系でははっきり言うと勝負にならない。 1997年、大歩危・小歩危でトロッコ列車を走らせるため、 トロッコ列車の伴車として、トロッコ列車キクハ32の塗装の緑にあわせる為、 キハ185−20が国鉄色に酷似した緑色となった。 1998年、高速化が完成した高徳線にも、2000系が特急うずしおにも導入される。 キロハ186の連結は終了し、キハ185系特急うずしおは数往復が減便される。 キロハ186に、多数の余剰車が発生。 同じく1998年、「明石海峡大橋開通」を記念して「特急あい」が運転された。 貫通面には、金長たぬき、側面には阿波踊りが描かれていた。 「あい」という名称に関しては、みんなに愛される列車と言うことで公募で選ばれたものだと記憶している。 (名付け親は、主婦だったような記憶も・・) 好評だったにもかかわらず1年をもたず特急剣山に吸収され廃止となった。 またキハ185系で運転されていた四国最後の急行、急行よしの川も廃止された。 同じ徳島線に3つの優等列車が同じ形式で運転されていることに整理をつけたかったのであろう。 また、「特急あい」と同じく、予土線にも特急「I LOVE しまんと」があったが同時期に廃止となった。 こちらも、車両全面をペイントされたキハ185系2両で高知〜予土線経由〜宇和島を運転されていた。 1999年、「よしの川」「あい」「I LOVE しまんと」が廃止され、 相当数が再び捻出されたキハ185系はトイレなし1000番台の8両を「通勤化改造」し、 老朽化著しいキハ58/65の後継普通列車となり、松山運転所に配置された。 3100番台に改番され、 普通列車と併結できるように、ジャンパ栓の増設、 座席のリクライニング機能の廃止、テーブルの撤去、貫通路に自動行先方向幕を設置した。 同年、さらに50系JT、アイランドエクスプレスの老朽化廃止に伴い、後継車としてキハ185系4両が抜擢された。 キハ185−11、12を伴車とし、 アイランドエクスプレスUとなる車両には余剰となっていたキロハ186−4、8を整備して、 キハ185の2両には一部塗装変更のみ、キロハ186には外装・内装とも大工事を行いキロ186に改番された。 キロ186にはカラオケ設備の設置、座席を360°回転できるシートへの取り換えなどが行われた。 (※座席は、初代アイランドエクスプレスからの転用だと思われる) 四国各地で展示会を行った後、1999年秋から本格的に団体列車として活躍。 ちなみにこのアイランドエクスプレスUは、特急形気動車ながら「SL土佐竜馬号」の客車をつとめた。 この時の編成は、C56+キハ+キロハ+キロハ+キハ+マイテ49であり、異例の編成である。 (※高知所の12系客車は、ムーンライト高知の運転期間であったため利用できなかった) また高徳線に2000系が増備されたことにより、キハ185系は2往復を残すのみに大幅減少。 2000年に キハ185系はトイレ付き0番台の2両を「通勤化改造」し、3000番台として松山運転所に転籍。 ただし、牟岐線に「特急むろと」も新設された。 新設されたといっても、実質「うずしお号」の徳島打ち切りで、「うずしお号」から分断されたものである。 現在も特急うずしおには、2000系の車両数不足と剣山の運用上の都合で2往復がキハ185系で残っている。 2002年秋には、余剰となっていたキロハ186−2が、「ゆうゆうアンパンマン列車化」改造工事を請けた。 今までのグリーン座席をそのまま指定席に、指定席は撤去され、プレイルームに改造。 四国主要駅、岡山駅さらには大阪駅でも堂々と展示会を実施した。 特急うずしお・剣山に、主に休日に増結され、好評で、アンパンマンは休日のみ定期列車化された。 (厳密に言えば、はじめは増結扱いでまもなく定期化された) ちなみに、旧グリーン座席を現在指定席として使用する為、「乗りドク」な列車でもある。 2002年10月25日に高知国体が開催されたことで、 高知〜中村間に特急「くろしおくん」が全車指定席で運転された。(下り2本、上り1本) おそらくキハ185系での運用? 2003年春、瀬戸大橋線にキハ185−20+キクハ32−501の「瀬戸大橋トロッコ」が走る。好評。 2003年夏には、瀬戸大橋用トロッコにキクハ32が好評で増備された為、 伴車用のキハ185−26が、緑帯となった。 この緑帯は懐かしい国鉄色だが、厳密には異なる。 これもまた、運用上「うずしお」「剣山」などに運用に入る場合がある。 2004年初旬は緑帯車の定期列車走行が大変多かった。 2004年7−8月にかけて予讃線が大雨により一部が不通となっていたが その際キハ185による特発代走普通が設定された。 2004年8月に、阿波踊り期間中増結が発生し、ゆうゆうアンパンマンはキハ+キロハ+キハ+キハの 1両増結の4両編成で活躍した。 尚、うずしお号にはキハ+キロハ+キハ+キハ+キハの5両が充当された。 2004年8/23〜8/27に、なんと岡山地区に貸し出されて、 快速「トロッコ清流高梁号」が運転される。 2004年10月、2年間続いた徳島地区定期特急増結の「ゆうゆうアンパンマン」運用が休止。 このキロハ186(アンパンマン)は瀬戸大橋トロッコへ増結となり、 キハ185+キロハ186(アンパンマン)+キクハ32の特異な編成で瀬戸大橋を走り始めた。 しかしワンシーズンのみで撤退し、徳島地区の特急増結運用に復帰している。 これに関しては、2006年11月に瀬戸大橋トロッコ用であるキクハ32がアンパンマン塗装となった。 2005年3月に、特急剣山が夕時間に徳島穴吹間に1往復増発。 2005年7月、徳島〜阿南・日和佐で「ひかりトロッコ」を運転。 キクハ32−502+キハ185−26による。 2005年7月、高松〜大歩危(?)間で キクハ32−502+キハ185−26+アイランドエクスプレスUの6両が運転される。 2006年6月に、特急むろとが夕時間に徳島阿南間に2往復増発。 この「むろと」増発にあわせて 松山所のキハ185−3000番台の2両が特急仕様に再整備されることとなり、多度津工場に入場。 3000番台が消滅し、キハ185系で初の廃形式となった。 この2両出場まではトロッコオフシーズン中の予備車両を捻出して、運用されたもようである。 2006年7月、徳島〜阿南・日和佐で「ひかりトロッコ」、徳島〜阿波川島で「納涼トロッコ」を運転。 キクハ32−502+キハ185−26による。 2006年8月、 キハ185−3009がキハ185−9に、 キハ185−3013がキハ185−13に再改番され特急運用に復帰。 なお、この2両は、座席を2000系に準じたシートに交換しており、このため足置きもある。 どうやら8000系リニューアルで座席を交換したときに生じた旧シートが転用されたものと思われる。 2006年10月、 高松所のキハ185系2両を使用して「駅間キロ程測定列車」をJR四国管内で運転。 キハ185−18+キハ185−1016が使用された模様である。 2006年11月、 キクハ32−502(瀬戸大橋トロッコ)が、アンパンマントロッコに改造されて、四国各地で展示会を実施。 伴車として、キハ185系3両(疑似国鉄色を含む)が同行し四国各地を走行した。 2007年3月13日、14日、15日の3日間、団体列車(ゆうゆうアンパンマンカー乗車ツアー)として 徳島〜阿南〜牟岐間で、1日1往復ずつゆうゆうアンパンマンカーを含んだキハ185×3両が運転。 ただ、広告曰く、アンパンマン指定席(キロハの座席)に座らせてくれるのではなく、 牽引役の一般キハ185に着席していただくとのことである。 また、各コース40名様ともあり、満席になれば、子供とは言えキロハ186プレイルームでは遊びづらいだろう。 ここはやはり、定期「特急剣山」等のゆうゆうアンパンマン指定席の利用がよさそうである。 また”牟岐線初企画”と広告には書いてある。キロハの牟岐線乗り入れは久々? 掲示板に2006年に牟岐線でゆうゆうアンパンマン目撃談があり、詳細をご存じの方はお教えいただきたい。 2007年4月1日〜7日に六泊七日で、四国一周鉄道の旅、またJR四国発足20周年を記念して 「20周年記念号」が運転。アイランドエクスプレスUの4両編成が充当。 ・詳しくはアイランドエクスプレスUの項を参照。 2007年4月から、アンパンマントロッコ(元瀬戸大橋トロッコ)の岡山乗り入れが実施されている。 長らく瀬戸大橋トロッコは、茶屋町折り返しであったが、 伴車ではあるが、久々にキハ185の岡山乗り入れが実現した。 列車名は「瀬戸大橋アンパンマントロッコ」に再度変更。 2007年7月17-19日、ゆうゆうアンパンマン+アンパンマントロッコの団体列車が徳島地区で運転。 2007年10月5日、ゆうゆうアンパンマンカーがリニューアル。徳島地区にて出発式・試乗会を運転。 2007年11月には、平日を中心にゆうゆうアンパンマン+アンパンマントロッコの団体列車が各地で多数運転された。 2008年3月から「むろと」51号〜54号が、特急ホームエクスプレス阿南号として運転予定。 54号のダイヤは廃止の上、代替として朝の通勤時間帯に1本増発される予定。 また、08年3月にキハ185系特急の全面禁煙化が実施される予定である。 喫煙車サボとキハ185の組み合わせも記録しておきたい。 今のところ、キハ185系はJR四国にとってあらゆる面で使用しやすく、この体系は当分維持されると思われる。 ●私見とキハ185に対する考え 主力を追われた車両であるが、今後とも四国で活躍してもらいたい。 九州に行ったのが20両、通勤化されたのが10両、、、なんとももったいない結果である。 特にキハ185−1、1001のトップナンバーが四国に不在なのは残念である。 キハ185系もいつかは引退してしまうであろう。 それがいつになるかは分からないが、どの車両もそれまで無事にがんばってほしい。 「どの車両もがんばれ」ということで、キハ185系を全車網羅した所以である。 キハ185系も登場から20年、これからが働き盛りである。 現に、徳島線・牟岐線では近年特急増発がさかんである。 さらなる拡充を期待しよう。 |